セラピストとクライアント

昨日、臨床心理の本を読んだ。

課題として読んでいたから最初はつまらないなぁ、と思いつつ、だらだら読んでいたけど、読み進めるうちにだんだんと引き込まれていった。

 

というのも、いまの自分とコーチの関係と、クライアントとセラピストの関係が似ていたから、いろんな視点からこの本を楽しむことができた。

 

本の名前は「症例でたどる子どもの心理療法」というもの。セラピスト(臨床心理士)と、ある1人の男の子(クライアント)のセッションをたどった本だが、ここで取り上げられている男の子は自閉症と診断されていて、セラピストとのセッションを経て、少しずつ周囲の人とコミュニケーションが取れるようになっていった。

 

その中で、セラピストは言葉によるコミュニケーションが取れないクライアントに対して、ひとつひとつの動作やクライアントが描く絵から心情を読み取り、交流を図っていた。

 

 

人と触れ合う時、ぼくは知らぬ間に観察している。これは本心じゃないな、本当はこう言いたいのではないのか?、みたいに考える以外に、その人の様子だったり言動、目線だったりも観察することがある。

 

メンタリストじゃないから、全てが分かるわけではないけど、コミュニケーションというのは言葉だけではない、ということをすごく感じる。

 

いまはコーチングという形でコーチと定期的に会っているが、「意思を持った鏡」という表現がとても面白かった。

文字通りコーチはぼくが話すことを、そのまま返してくれる。ぼくは自分でそれを聞いて、あ、これってこうなんだって気付いたり、自分の悩みが自然となくなったりする。

 

でもきっと、コーチはぼくの言うことをそのまま返そうとして返してるわけではないんだろうな。ただ、ぼくと面と向かって話してるだけな感じ。

正直すごい不思議な感覚になる。

 

 

ぼくは、自分の中にもう1人の自分がいて、その存在が自分の周りを飛び回って色々観察していて、本体(?)はただ考えごとをして話しているだけ。ちょこちょこもう1人の自分が「いまきっとこう見られてるよ」とか「これ、言うべきじゃない?」って声をかけてくる。

 

これがいわゆるぼくの才能なんだろう。

うまくいけば、とてもパワフルにぼくを輝かせてくれるけど、ひどい時はどんっどん沼にはまっていく。

 

まだまだ自分を扱うことで必死だけど、少しずつ成長してきている実感が湧いている。