人の顔を見られるようになった
正確に言うと、
人の顔が見たくなった、かもしれない。
最寄駅から家までの帰り道のこと。
普段は常にイヤホンをして好きな曲を大音量で聴くことが好きなぼくが、今日は珍しくイヤホンをせず、携帯もバッグの中にしまって歩いた。
今までは耳から流れてくる音楽にすべての意識を向け、外からの情報を遮断していたためか、ずっと下を向いて歩いていた。
外の情報に意識を向け、前を向いて歩いてみると、たくさんの人の表情が確認できた。
眉間にしわを寄せる人、無表情な人、彼氏や彼女、友達とニコニコ話す人、キラキラした目で景色を楽しむ人、悲しそうな人、つまらなそうな人、急ぎ足で駅に向かう人、とにかく寒そうな人、下を向いている人。
さまざまな表情が見えたが、中でも困っているような、怒っているような、そんな顔をした人が沢山いたような気がする。
ぼくは今日、ある人とじっくり話した。
自分のこと、親のこと、これからのことなど、ぼくの悩みという悩みに対して真剣に、でも気楽に、やさしく耳を傾けてくれたおかげで、その人とのセッションを終えた時、ぼくはとても輝いていた。
帰り道に、今日あったことを自分の中で噛み砕く時間にしようと思い、スマホをしまって外の世界に触れつつ、自分に向き合う中で出会った人たち。
彼らはぼくにとって誰でもないし、彼らにとってもぼくは誰でもない。なんなら通行の邪魔になる存在。
でも、彼らと出会ったことで、
自分に与えられたこの環境を存分に活かそう、と思った。
ぼくは自分と向き合う環境に出会えたけど、そんな人はそう多くない。たくさんの人が自分に向き合うための時間や関係を築けていないんだということに気づいた。
今までの自分に対して、なんて無駄な選択をしてきたのだろうって思うことがたまにあるけれど、周りを見てみたら、みんなも自分にいっぱいいっぱいだし、別に無駄な選択だったとしても、選択したこと自体が進歩だと思う。
がむしゃらでいいし、泥臭くてもいい。
そのままでいいし、そのままがいい。
ただひたすらに、自分の人生の今を必死に生きれたら、とても幸せだと思う。
ぼくは運良く、自分が求めていた「何か」に確実に近寄っている。その実感を忘れずに自分を尊重して、他人を尊重していきたい。
人に何かを与える存在になりたい、なんて生意気なことを思うけど、ぼくが体験したこと、ぼくの人間性を通して、誰かが何かを考えるチャンスだったり、なにかの気づきになったら嬉しい。
ぼくがたくさんの人と出会ったことで、エネルギーをもらえたように、だれかがそれを求めていたらぼくなんかでよければ、是非力になりたい。
まあ、それはいつかなれたらなぁ、の話であって、ぼくは今向き合わなきゃいけない大きな大きな課題が目の前にある。
今日のセッションを経て、得たもの感じたもの思ったこと、それらを自分なりに踏み固めて、関わりたいと思う。
とりあえず、
今日は本当に素敵な日になった。
焦らずにじっくりと、
ありのままの自分を伸ばしていきたいと思った一日だった。