流れ、をどう捉えるか

今日は愚痴を。

 

最近、流れって怖いなって感じていて、ぼくなりの解釈では流れに任せる、といっても2種類ある。それはつまり「流される」か「流れに乗る」かの違いで、洪水が起きて濁流に流されるか、サーフィンで流れに乗るかの違いのようなもの。どっちも流れに任せるしかないけれど、自分の意思の有無が関わってくる。

 

これを人生に置き換えて考えてみると、周りに流されれば、自分の意思は無いも同然で、自分の未来をコントロールすることはできない。でも逆に、流れを作ってそれに乗れば自分の意思で未来をどうにだって変えることができる。

 

ぼくが感じた社会に対する不満は、憲法で人権の保護とか言うくせに、学校教育をみてみると、まるで子どもを社会の歯車にする工場みたいってこと。

子どもたちは無限の元気と時間があるのに塾にこもって勉強させられ、お受験をしていい学校に入り、記憶力が全てのテストで順序をつけられる。成績がいいやつは偉くて、悪いやつはバカにされる。個性もくそもない。

そうやって幼少期からマインドコントロールをしていって、「自分は便利な部品にならなきゃ!」って思わせる。綺麗にそろったパーツは無事社会に送られて、形の悪い奴らはぶっ叩いて直すか、ゴミ箱に捨てる。しかも、いい部品になっても満足するのは悪い大人だけ。なんならその人たちは自分の望む返事をくれるとも限らない。

 

そんな人生いやだな...。死ぬ気で勉強して、いい大学出て、結果使い心地のいい部品になるなんてつまらないと思う。だから子どもたちには、死ぬ気で遊んでほしい。とにかく好きなことやりまくって、思う存分枝を伸ばしてほしい。

 

言いたいことは、就職するなってことじゃなくて。

流されない意識よりも、どんな流れにしたいかを意識する。あり方であり続けることを大事にした方がいい。そうすれば、自分の過去とか特性、未来を編集することなく生きていける。

 

特に、ぼくみたいにすぐ自分を書き換える癖があると、すぐに人のためとか言いながら他者に合わせようとしてしまうから気をつけないといけない。

最近は、就活とかいって色んなサイトの急かしに流されてたけど、自分を編集するよりも自分をもっと明確にするすることにエネルギーを使うべきだなって思う。それこそ身の回りから、あり方であり続けるとか。

 

会社に入って輝いてる人って、全体からしたら一部だし、そのほとんどがやりたいことを明確に持っていたり、あり方とマッチしていたりする。なんとなく就職しなきゃなのかなーって思うのは、そういう人たちを見て、きっと自分にも合った会社があるのに自己分析とかができてないことを社会にせいにして逃げてるだけなんじゃないかって思うから。

 

ここ数日はそれについて悩んでて、うまく言葉にできないけど、本当は思ってることがあるのにまだ自分を信じられていなくてそれに向き合おうとしてない感というか、突き抜けられていない感というか、もやもや感が残る。

悪い感じに自分の特性が出ちゃってる気がする。

 

あの人が言った

「おれは福井くんにこのあり方であり続けてほしいなぁ」

って言葉が忘れられない。

 

何かすごい大事なものに気づかせてくれた気がする。

ぬおおおおおおおお!!!!

モヤモヤするうううううう!!!!!