コーチとは別の大事な存在

今日、とある友達と飲んだ。

 

その子とは高校の時からの知り合いで、偶然大学が同じになりサークルも同じで、かつ一緒に歌を歌ってきた人。

 

今日話すまで、正直なんだこいつって思っていた。自分と性格か感性かなんかが似てるけど、でもよくわからなくて、表面に出てる人格と本当の彼女のギャップが激しいから、なんかいけすかない人だなって感じだった。

 

ても、最近コーチングを始めて、新しい世界が見えてきたことで、これを誰かと共有したいと思った時に、その友達が思い浮かんだ。なんか変なやつだけど、なんとなく通じる感じがしたから。

 

話して分かったことは、彼女も自分と同じように、これまでたくさんもがき続けて、最近やっと本当の自分を認めることができていたということ。まさかここまで似た境遇とは思わなかったけど、本当に共感しかなかった。

 

いい感じだね、とお互いの成長を確かめ合う中で、似た経験をした人とコミュニケーションをとれることがどれだけ貴重かを噛みしめていた。

 

偶然彼女もコーチングに出会っていて、これまでぼくが経験した全てを分かり合えた。もがいていた時、他人からすれば「何を考えてるかわかんないけど、すごい大変そうな人」って映っていて、内面に向き合うことの重要さを理解されなかった。2人ともとにかく辛かったけど、自分を信じて突き進んできた。それで、やっといまそれぞれが輝いてるし、自信に満ち溢れている。

 

だからこそ、このレアすぎる体験のありがたみをすごい感じた。ありのままの自分を認めるということがどれだけ大変か、そこの壁を突き破る方法は単純すぎるのに沢山の人ができない。そのことをお互いに「わかるー!!」って共感できた時は、改めてこれでいいんだって思った。

 

普段なにも考えずに生活してると、気づかないうちに周りの当たり前を自分にも適用しなきゃってなってしまうから、リセットする意味でも本当に貴重な時間を過ごすことができた。

 

 

ぼくにとってコーチというのは、近くもなくて遠くもない存在。単純に自分とお話ししながら自分の現在地を示してくれる。味方でもないし敵でもない。

 

この存在は他にはない唯一の関係だと思うけど、同じような境遇の人とすべてを吐き出しあえるのも、唯一の関係だと思った。

 

 

その友人との時間の中で印象的だった直近の出来事をひとつ。

最近、ぼくは就活に本格的に力を入れていこう、とひとまずいろんな就活サイトに登録してみた。いろんな企業情報をみて、口コミをみて、ホームページをみた。でも何かが違う。このなんとも言えない危機感と違和感を掘り下げていった末に出てきたのは、就活の目的や自分のあり方とマッチングの仕方のギャップ。

 

その友達の言葉を借りると「まじTinder」

 

しっくりきすぎた。

本当にこれで自分の行きたい企業に出会えるのか?この疑問に目を背けなくてよかったと思った。

 

少なくとも自分がみた就活支援サービスはどこも似たような感じだった。

じゃあこれからどうするか。次に出てきたこの問いに対してぼくが出した結論は「就活とは何か、ではなく、自分がなんで就活をするかを大事にしよう」というもの。

 

なんで就活するか。

ついさっきまでは心の奥で「就活=内定をもらうため」っていう式が強く残ってたけど、内定をもらうことがぼくの人生の中のステップとしてそこまで重要かというと、そんなことはない。

 

ぼくは、疑問に思ったことをなぜ疑問に思ったか、なにに違和感を覚えたのか、その違和感をどうしたらいいのか、そういったことを自分の中でとにかく考えぬいて、ポン!って自分の中に答え出す考え方をする人間。

 

いまの自分は、そのポン!がたくさん出るようになっていて、その結論を表現する経験が少ない。正しい間違ってるではなく、これがぼくにとっての考えだ、って相手に伝える機会が多くない。

 

だからこそ、それを言葉にできたらさらに明確になるし、明確になったらさらに言葉にできる、っていういいサイクルが生まれることを分かっている。

 

つまり、就活はこの経験のために使いたい、って思った。だから、気づかぬうちに内定のために就活しようとしていた自分に違和感と危機感を覚えたんだと思う。

 

 

これからは、自分の価値は自分が決めている、っていうことを実践に移して、たくさんいいものを集めるステップが始まると思う。

 

なんかよくわかんないけど、きっと自分すごいから(ってことにする)、大丈夫な気がする。