何を選ぶか、より選んだものをどうするか

幸せってなんだろうって考えてみる。

 

たくさんの人に囲まれていること

お金をたくさん持ってること

何不自由なく過ごせること

 

あげたらきりがないけれど、それがあったら幸せだ、と言えるのか。

逆にそれがなければ幸せじゃないのか。

 

きっとそうじゃない。

ぼくは今まで何があれば幸せなのか、もっとも、お金が全てだと考えていた。

 

だけど、結局そんなことはなかった。これがあれば幸せだ、なんて考えは幸せじゃないなっておもう。

 

つまり、他者によって幸せを定義していても仕方ないって思うようになった。

というのも、最近の自分の過ごし方を振り返ると、これがあれば満足、というぼんやりしたゴールを訳もわからず追いかけていた。

 

1人じゃ寂しい、って感じていたのも、相手から「すごいね」みたいな羨望の眼差しで見られることとか、褒められるのを求めていたから。

心のどこかでそんな目的をもっていたから、相手が期待に応えてくれなかったら嫌な気分になる。

 

なんてたちの悪い人だ。

 

別にそうだった自分を嫌いになるわけではないけど、"選択"の目的を把握していなければ、道から外れていても気づくことはないし、しわあせを感じることなんてできるはずもない。

 

つまり、自分が何を選択するかに焦点を置いている段階にいてはダメだということ。

 

自分の選択を尊重して、責任をもつ。

これの繰り返しをするしかない。自信もその積み重ねに伴ってついてくるもの。

 

 

今ぼくがいる環境はどんどん変化していっている。

収益を上げて、その先に自分のやりたいビジネスを始め、将来こんなことがしたい、と目的を持って歩き始めている。

 

自分の中を整理することに全てのエネルギーを捧げているぼくに対して、「なにやってんだ!目の前のタスクをこなして結果を出せ!」って言い続ける自分がいる。

 

でも、ぼくは今、自分の選んだことを重要だと感じているし、それに取り組むことで充実感を覚えている。

 

いろんなことを突き詰められずに、結果という結果を残していなかった。でも、ぼくにとってその結果というのは自分のための結果ではない。

他人から褒められたい、すごいと言われたい、そんな欲求を埋めるための結果だった。

 

 

心の中で、他人は必ずしも褒めてくれない、他人は自分を褒めるために存在しているのではない、ということをわかっているのに。

 

 

じゃあ今、どうすればいいのか。

それは自分が選んだこと、他人のためにとかそういう理由で選んだものではなくて、自分が本当に必要だ、やりたい、こうなりたい、と素直に感じることに真っ直ぐ向き合い続ける。ただそれだけ。

 

 

一日二日で結果を求めてはいけない。焦ってはいけない。常に自分を主体に考える。

 

自分の周囲の人間と同じである必要なんてないんだ。自分は自分の道をかき分けていればいい。

自分がもつたくさんのエネルギーを、自分のために存在していない他人に使っても仕方ない。

 

自信をつけるためにアレをやる、

なんて訳のわからないことを堂々と叫んでいた自分とはこれでさようならだ。

 

 

本当の気持ちをいうと、とってもとっても怖い。誰かに泣きつきたい。よしよし、って頭を撫でられていたい。

 

 

でも、強くなるために必要な道のり。

そこから逃げてはいけないし逃げたくないし、よくよく考えてみると他者に自分の幸せを求めてひた走るよりかはマシだ。

 

この不安はきっとすぐにはなくならないだろう。でもきっとみんな一緒で、みんなもがいてるはずだ。

答えがわかってる状態なんて人生においてはありえないんだ。

 

 

こういう考え方をできているって時点で、今の自分によく頑張った、って言ってあげたい。

 

あんだけ暗闇の中を走り続けていたのに、自分で暗闇の中から光を生み出した。こんなこと、昔の自分ではできるはずなかった。

だから、大丈夫。そのままで大丈夫。

 

 

ふわふわした感じがする。

地に足がついていないという不安とも言えるし、空を自由に飛んでるとも言える。

 

 

そのままどこまでも行こうと思う。

たまにはお酒でも飲みながら。